とまべっちーの考え事

ホラクラシー組織の学習塾を作ってみたい。

『学校の「当たり前」をやめた。』(工藤勇一)が本当にすごい  

 公立中学校の校長が大胆な改革を実行している。宿題の廃止。中間・期末テストの廃止。クラス担任も廃止。それでも学習指導要領に違反しているわけではないという。法律や規則で決められているわけではないのに、これまでの慣行が漫然と継続されている。それが大半の学校現場だ。校長が本気でやろうと思えばここまでのことができる。私は正直驚いた。

 私も物事を原理的に考えるのが好きな方だが、工藤先生には負ける。中間・期末テストを廃止するという発想は私にはまったくなかった。工藤いわく、一夜漬けで丸暗記してもすぐ忘れてしまうので意味がないという。そんな「瞬間風速」で成績を決めるのは合理的ではないというのだ。ではどうするかというと、単元ごとに小テストを行う。これは後日受け直すこともできる。再試験で満点を取っても通知表は5を与える。今の学校は「絶対評価」をすることになっているので、学期内に習得すれば5に相当すると考えるわけだ。なるほど理に適っている。

 クラス担任の廃止は、担任の「当たりハズレ」の不公平をなくす意図のほかに、クラスの風通しを良くすることで病理的な問題を未然に防ぐ狙いもある。各クラスをチームで見るという考え方は、ホラクラシー組織にも通じるところがあると思う。教員を孤立させずにチームで仕事する環境をつくることにも意味があるだろう。

 宿題の廃止について工藤はどう説明しているかというと、いまは教師のエゴで宿題を出しているだけではないのかと問題を提起する。どっさり宿題を出して、ちゃんとやってきた生徒には「関心・意欲・態度」でA評価をあげる、そのネタとして宿題を課しているだけではないのかというのだ。本来は、すでに出来る問題を何度も繰り返す意味はない。解けない問題だけ挑戦してくればいいはずだ。
 工藤は管理側のエゴを手放せと言っている。そう、これは実は「手放す経営」の本なのだ。

 非管理型の組織を成立させるためには、個々のメンバーが自律して動けることが前提条件となる。自分の価値観や性格、能力をよく理解した上で、世の中にどんな貢献をしていくのかという具体的なイメージを持っていることが必要だ。いまの日本社会にはそういう個人は少ないと思う。そこへ来て工藤の教育論はピタッとはまる。教育の目的を「社会でよりよく生きていくこと」と定義して、その目的にとって合理的な手段を設計していくというスタイルだ。当然「自律」というのは中心的なテーマとなる。このような教育をすれば、、次世代型組織にスムーズに適応できる若い人たちを量産できる可能性がある。非常にエキサイティングだ。

 次世代型組織を広く実現するためには、教育との連携が欠かせない。自律型の人材をOJTで育て上げるのはものすごく大変だし、結局ものにならないかもしれない。教育の基本的なモードとして、自律型の人をつくるように強力に誘導していけば、非管理型組織にすぐに馴染める人がたくさん出てくるだろう。

 また、集団一斉授業よりも対話による学びにシフトすべきだと書いてある。学校ならグループワークなどのアクティブ・ラーニングとなるが、学力・技能面の指導においては個別指導の出番ということになるかもしれない。私が貢献できるところも大いにある。

 工藤校長がこれほど大胆なことを実行できるのは、ステークホルダーたちへの説明を丁寧に、精力的に行なっているからだろう。とくに教育委員会との関係が良好であるからこそ可能なのだと思う。全方位への働きかけをちゃんとやるというのは、円熟した大人の仕事ぶりだなと思う。ビジネスマンにも参考になるところが多いだろう。

 教育の問題だけでなく、普遍的なテーマについて原理的に考えている本だ。「人は何を目指して生きていくべきか」、「人と社会の関係はどうあるべきか」といった問いに向き合うきっかけをくれる。良著という言葉では足りない、必読の書だ。100万部売れてほしい。

カテゴリ: 教育論

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「会社の指示にしたがう」から「世の中に価値を提供する」へ  

 会社の指示にしたがう代わりに固定給をいただくという発想ではいろいろと不具合がある。だから私たちはまず固定給をあきらめるべきだ。そして同時に、会社が指示をしてくれるのを期待することもやめなければならない。

 誰かが自分の人生の面倒を見てくれる、という発想を捨てなければならない。そういう依存的な進路選択は奴隷への道だからだ。だから大企業の正社員志望とか、専業主婦志望は勧められない。「とりあえず安定・安心を確保」というルートを夢見てはいけない。

 私たちが考えるべきことは、自分は世の中に何を提供したいのか。どんな価値を生み出したいのか。誰に何をしてあげたいのか。それを徹底的に考え、思考を洗練させていくべきだ。
 自分がどんな価値を提供したいのかが見えてきたら、そのために必要なスキルを身につけていけばいい。もし能力が足りずにスキルが身に付かないなら、目標をもっと自分に合ったものに修正すればいい。そうやって一人一人が社会の中でポジションを得ていく。

 まず私たち自身がいて、次に私たちが仕事を提供する相手がいる。ここで仕事と対価の受け渡しが行なわれるのだから、最も重要な人間関係になる。その過程で、何らかの会社を挟んだ方が効果的だという判断があれば、会社を利用することもある。会社とはそのような位置づけになる。
 
 世の中に提供できるような価値が何もない人や、世の中に貢献したいという感覚がまったくない人もいるかもしれないが、そういう人は自分に向き合うことが足りていないだけなので、私は無視する。

 新しい働き方について様々な議論がなされているが、どれを見ても、上の条件が満たされることが大前提になっていると思う。ちゃんと自分の生活費ぐらいは自力で稼ぎ出すことができますよ、という人でなければ、どんな選択肢も現実的ではない。

 私はそのことを生徒たちに教えていきたい。そういう考え方で生きていける人を増やしていきたい。

カテゴリ: 会社について考える

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IDWについてのツイートを拾ってみた(エビデンス主義によるポリコレ批判)  

 思想・批評クラスタで話題になった記事がある。



 これを受けて、批評や現代思想に対する厳しい見方をしている人がいる。

















 これは、エビデンス主義によりポリコレやフェミニズム、ひいては人文学そのものの土台を潰そうとする思想運動である。エビデンス主義に対抗するための考え方については次のような意見があった。









 私はこれまで、現代思想の人が「アンチ・エビデンス」とか言っているのはまずいんじゃないかと素朴に思っていた。しかし、単純化されたエビデンス主義が踏みにじろうとしているものの重要さを無視することはできない。

 「ポリコレ棒で叩く」とか「左翼用語で殴りつける」といった言い方があるように、左翼的な正義の論法は激しい反発に遭っている。反発したくなる気持ちも分かる。ポリコレは決して自然な感情ではない。あくまで理性的にコントロールしましょうという話であり、そこに欺瞞や抑圧を見て取る人たちがいる。男女の遺伝子の違いを持ち出してフェミニズムを批判するような振る舞いは、論駁可能とはいえなかなか厄介だと思う(素朴な感情論よりは)。

 一般的な傾向としても、悪い意味でのエビデンス主義を振りかざす人たちがいる。科学的に数量化できる価値以外は認めない、あるいは思想・信念の完全な自由を主張し、倫理や誠実さという価値基準をすっかり放棄している人たちだ。そういう人が増えているのかどうかは知らない。ネットで可視化されやすくなっているだけかもしれない。

 複雑なテーマなので考えがまとまらないが、今後もフォローしていきたい。

カテゴリ: 思想

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組織文化コンサルティングについて考える  

 組織づくりのコンサルタントという職業がある。私が以前勤めていた会社(イ社として度々記事にしてきた)も、旧態依然とした組織風土を変えなければいけないということで、コンサルタントが入って5年くらいプロジェクトをやっていた。コンサルタントのやり方はだいたい決まっていて、中堅(ミドルクラス)の各部署のチームリーダー層を招集する。コンサルタントがファシリテーターを務めながら月1回くらいミーティングを行い、新しい価値観の共有を図る。全員でスローガンの唱和をしたりする。そして、その価値観について各部署に持ち帰って話をして、会社全体に浸透させていくというシナリオだ。

 コンサルタントというのは新しい価値観の紹介者であり、伝道師でもある。かなりはっきりした思想の持ち主が多いと思う。カリスマ性があり、人に影響を与える力を持っている人が多いと思う。中堅社員がまず感化されて、次に平社員が感化されるというシナリオになる。

 しかし、これでうまく行っているケースがどれくらいあるのだろうか。私の会社は大失敗だった。何の効果もなく、何の変化もなく、ただ「改革疲れ」だけが残った。コンサルタントの思想に誰も付いて行けなかったのだ。そもそも理念とか価値とかいう抽象的なことを考えたこともない人たちだった。

 いま、ティール組織や自然経営の導入コンサルタントをしている人たちがいるが、私の感覚で言えば、コンサルをしたくらいでティール組織化に成功するとは思えない。コンサルタントは会社に新鮮なインスピレーションを持ち込むが、彼らのIQを高めるわけではないし、精神性を高めるわけでもない。そこまで出来ると思っているコンサルタントがいたら驕っていると思う。

 たとえば、組織コンサルタントの坂東氏のYouTubeチャンネル(坂東孝浩のズキュン♪チームビルディング)の動画再生数は10回前後だ。もし現実に坂東がコンサルティングに入っている会社の社員たちが視聴していれば、それだけでも数百には達するはずだ。そのひと手間さえ惜しむような意識レベルの人たちばかりなのである。

 同じことがコーチングにも言える。コーチングで人を変えられると考えるのは勘違いだと思う。

 私は家庭教師なので、学習に関するコンサルティングもするしコーチングもするが、子どもたちの基本性能が変わるわけではない。ごちゃごちゃとこんがらがっている問題を解きほぐしてスッキリさせる手伝いをしているだけだ。どれだけ大きな成果が出るかについては結局本人のポテンシャルに依存する。

 つまり、コンサルティングもコーチングも教育も、さほどのものではないと思っている。

 もし、組織文化を抜本的に変えたいと本気で思うなら、期限を決めて、新しく採用する価値観にもとづいた行動を取れない人を追い出すくらいのことをしなければダメだと思う。

 ティール組織などの次世代型経営は、私が調べたところ、やはり敷居が高いといわざるをえない。メンバー全員に高い知性とスキルが備わっていることが前提となる。個々人が独立して仕事することもできるレベルの力があり、いつでもリーダーシップを発揮する用意がなければならない。誰でもリーダーを務めることができるから、管理が要らないのだ。

 Googleは非常に民主的な社風で知られている。新入社員でもシニア社員に対等に意見が言える。しかし、入社試験は極めて狭き門だ。ティール組織の現実的な運用法はこれに倣うことになるだろう。入口は狭くしておいて、社内はフラットな体制にするのだ。だから会員制のサロンのようなものだと思えばいいだろう。

 これが差し当たっての私の結論だ。非管理型の会社を作りたければ始めからそうするべきで、適応できる能力をもった人だけを集め、ダメな人は出て行ってもらう。大企業でも部分的に導入することはできると思うが、全社的なコンセンサスを得られることはおそらくないだろう。ティール組織化のコンサルティングが成功するかどうかは、導入の手順や方法論の問題というより、本質的にその価値観に適合できる社員がどれだけいるかで決まると思う。

カテゴリ: 会社について考える

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哲学Youtuber「高等遊民」が面白い  

 勉強になるチャンネルが増えるのは大歓迎だ。「高等遊民」さんによる勉強法についての動画を貼っておく。私もこれに完全に同意する。



 一気にやらなければいけないのに、モタモタしていて全然勉強が進まない生徒がいる。薄く広く頭に入れていく。それを何週もする。そういう勉強法が効率が良いということを知ってほしい。
 
 ところで、哲学といえば、ヘレニズム哲学のエピクロス派が現代的だと思っている。次世代型経営を試みている一群の人たちがいるが、彼らに共通する思想がエピクロス派に近いのではないかと思っている。簡単に説明したブログ記事を貼っておく。

古代西洋における二つの自由論 ~ストア派とエピクロス派~ Re:I

 簡単に言えば、エピクロス哲学とは「余計なストレスをなくしましょう」という考え方だ。現代社会の諸制度は無駄に人間を疲弊させるところがある。そういうストレスを回避しようとする動きが今進行中なのだと思う。

カテゴリ: 教育論

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