とまべっちーの考え事

ホラクラシー組織の学習塾を作ってみたい。

5組のみゆきさんの投稿を見て考えた  

女子高生が電車内で公然わいせつの被害に遭った。証拠動画をツイッターにアップして拡散。1000以上のリプが付いている。この件は私にとって興味深い点がいくつもあったので列挙しておく。(動画は閲覧注意。)


(1)注意喚起として有効な方法だった
 この手の犯罪の被害者はもっぱら女性であり、男性は目撃する機会がまずない。なのでこの動画にはインパクトがあった。私も「こういう男が本当にいるんだ」と衝撃を受けた。社会的に価値のある投稿だったと私は思う。
 さらに、リプ欄に類似の案件が寄せられた。こちらも公然わいせつの現場を押さえた写真で、当該男性と顔が似ている。どうやら常習犯らしい。ネットの集合知により注意喚起の精度が上がるシーンがここでも見られた。

(2)大量のリプを処理する女子高生
 有象無象のリプが来るわけだが、それを投稿者はそれなりに卒なく処理していた。今の高校生はさすがにネットのコミュニケーションに慣れていると思った。

(3)加害男性に対する名誉棄損?
 中には「男性に対する盗撮は名誉棄損、退学もありうる」などという見当違いの脅迫をしているリプもあったが投稿者は華麗にスルーしている。杓子定規な法律論で被害者の発言を抑圧しようとする人はどこにでもいる。しかし投稿者は社会常識というものを信じているから法律で脅されてもまったく動じない。それは正しい態度だと思う。
 加害男性はいまも電車内をうろついている可能性があるのだから、「この顔の男性は常習犯!」という注意喚起をすることは公益性がある。言うまでもなく電車は公共の場所なのだ。

(4)ネットによる社会的制裁についての議論
 一般論として、加害者がネットに晒されて社会的に窮地に立たされることはよくある。自業自得なのでほとんど同情もされないが、加害者が社会的に立ち直ることがいっそう難しくなるという懸念も指摘されている。これは深く考える必要がある問題だと思う。ネットで糾弾されるのはただ無能なゆえに大失敗をした人ではなく、倫理的に問題のある行動をとって他人に危害を加えた人が多いと思う。私たちは無能は許せるが悪は許せない傾向がある。そして、悪に対しては言論をぶつける必要があると感じる。きっと私たちは、加害者は法的に責任を取るだけでは十分ではないと思っているのだ。それだけで十分だと思っていたら、あえて自発的に悪を糾弾する必要などない。どうして加害者を晒す必要があるのかというと、「司法で裁かれた後もこいつはまたやるんじゃないか」と思っているからではないだろうか。つまり私たちは、倫理的に欠落のある人間は「改心」などしないという人間観を持っているのではないかと思う。私が思うに、司法制度が私たちの常識的な人間観に合っていないことが問題なのだと思う。司法の不備を社会的制裁という形で補っているように私には見える。

(4)一億の目が見ている
 犯罪者は相手を選んでやっているつもりだろうが、その相手が持っているカメラは1億人の目である、というツイートがあった。これは犯罪抑止効果の高い標語だと思った。

(5)監視社会の夢
 そうは言っても、犯罪被害者がカメラで加害者を撮影するというのは非常に勇気の要ることだし、状況によってはそんな余裕がないことも多い。そこで監視カメラに期待がかかる。今の技術ならAIが挙動不審者を見つけて予め警戒することもできる。
 そして、そういう社会が至る未来はこれだ。


市民を格付けして管理するシステム。これは合理的に決まっているので、このような社会にしたいという欲望を抑えることは難しいのではないだろうか。

カテゴリ: インターネット

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