とまべっちーの考え事

ホラクラシー組織の学習塾を作ってみたい。

千葉雅也さんのツイキャスが面白かった  

昨晩千葉雅也がツイキャスを配信していたので視聴してみた。面白かった。1時間以上はたっぷり一人語りをしていたが、最後まで興味深く聞くことができた。第一級の知識人があんなふうに気楽に配信してくれるのは実に嬉しいことだ。千葉も言っていたが、ひと昔前はもっとああいう配信をしてくれる知識人は多かったような気がする。それが近年ではすっかりマネタイズされてしまい、課金コンテンツとして囲い込まれてしまったために、無料で視聴できる質の高い言論系の番組は非常に少なくなってしまった印象がある。YouTuberは爆発的に増えたが、思想や批評の動画コンテンツはむしろ減ってしまっているような気がする。それに不満のある視聴者層が自己啓発系のチャンネルを見に行って洗脳されるという悪い流れもあるのではないかと思う。

ともあれ千葉の話は面白かったので感想を書き留めておきたい。ただ、テキストにするとご本人に迷惑がかかるかもしれない話は割愛する。

まず、千葉はネットのヘビーユーザーだということ。95年にネットを使い始めたそうなので筋金入りだ。ネットを積極的に使う知識人は珍しいが、千葉はエゴサーチもするし、5chも見に行っているし、Amazonのレビューにも目を通している。そして何より重要なのは、その時々の哲学的関心をツイートし続けている。
千葉はネットに何を期待しているのか、配信を視聴しておぼろげながら分かってきたような気がした。千葉自身がアウトローでロックな文化が好きなのでネットに親和的だったのだ。2010年以前のネットはもっととんがっていて知的レベルの高い人たちが多かったという。それが今では本当に「普通の人たち」が大挙して押し寄せてきたので「なんだかなあ~」とため息をついていた。自分が愛していたあの自由で先鋭的なネット空間が、すっかり大衆に乗っ取られてしまったという感覚。
千葉はけっこうロックなことを言っていて、普通の人は嫌いだとか、リア充は爆発しろというようなことも言っていた。私が思っていた以上にネット民のマインドなんだなあと思った。このツイキャスを続けたらけっこう人気になりそうな予感がする。(もっとも、千葉にとってはめんどくさいファンが増えるだけかもしれないが。)

千葉は柴田英里というフェミニストの話をしていた。ネットで批判を浴びているらしい。しかし千葉に言わせれば、柴田のようなハードコアなフェミニストが語る言葉を、フェミニズムの歴史をまったく知らない一般市民が見たら、非常識に見えるのは当たり前だという。そういう議論の蓄積を踏まえた上で柴田は先鋭的なことを発言しているのに、「普通の人たち」が常識を盾にして引きずりおろそうとしている光景はひどいものだと言う。
なるほどそうかもしれない。しかし、そのような論法でフェミニストを擁護するのはやはり少々苦しいような気もする。普通の人たちから常識的な批判を浴びるのは必然なので、それをどのように処理すればよいかという話に進まなければいけない。「今のネット民は無知なので基本から説明してあげないと分からない」という発言もあった。そうだとしても、いちいちツイッターで基本から説明してあげるほどインテリの皆さんも暇ではないだろう。そのあたりをどうすればいいのか。

たとえばチャットボットの自動応答システムが使えれば助かる。過去の自分のツイートやブログの内容をAIが読んで、簡単な質疑応答をボットに任せることができればいい。誰でも千葉や柴田といったインテリにリプを飛ばせるのはネットの面白さではあるが、程度の低いリプでインテリを煩わせるのは社会的資源の損失である。もう少し情報技術の力で円滑な言論の流通システムを作れないものだろうか。

もう一つ千葉が擁護していたのが、ソーカル事件で嘲弄された現代思想学界だ。千葉の論法は面白かった。そもそも学界というのは人間同士の信頼関係で出来ているものであり、匿名の論文をその内容だけで審査するような場所ではない。ソーカルの行為は学界に対する重大な倫理違反であり、ほとんど犯罪に近い行為だ。だから「ソーカルによる批判などなかった」という態度をとって構わないのだと言っていた。
いわれてみればそういうものかもしれない。しかし、その論法で学界の外の人たちは納得するだろうか。なんだか弁護士の弁論術のような話に聞こえるのは私だけだろうか。
ともあれ、千葉がアカデミズムにおける人間関係を非常に大切にしていることは分かった。

千葉のトークの全体的なトーンとして、なんとかして非常識を擁護したいという思いが感じられた。それもけっこうファイティングポーズを取っているので、視聴者としては普通にトークショーとして楽しめる。千葉は落合陽一の「思想」にも興味津々だし、苫米地英人の本も数冊読んだことがあるらしい。ネット系の自己啓発を排除しないところが千葉の特徴だと思うのだが、きっと性格的にシンパシーを感じるところがあるのだろう。常識に対する異端者という意味で。

最後に、東浩紀と比較して一言述べたい。東は文學界12月号で、批評や哲学は社会的にマイナーな位置づけを宿命づけられていると言っている。そうは言っても東の言葉は流通性が高く、さまざまな雑誌で重用されている。その東は、実は文章よりも喋りの能力のほうに自信があるという。たしかに東の喋りは非常に分かりやすい。
その東と比べると(比べるほうがおかしいのかもしれないが)、千葉の言葉はさらにマイナーな射程しか持っていないような印象がどうしてもある。何かもっと大きな話を展開してほしいとつい期待してしまう。もちろん東は出版社の社長であり、千葉は学者なのでフィールドが違う。しかし千葉のトークもかなり分かりやすいので、一般の視聴者を惹きつける力はじゅうぶんあると思う。まあとはいえ、マスを相手にしたら千葉の持ち味が損なわれてしまう気もするので、これはこれでいいのかもしれない。

カテゴリ: 思想

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