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自己啓発セミナーの歴史のまとめ  

コンサルタントの坂口孝則が自己啓発セミナービジネスの歴史をまとめている。要点が分かりやすい記事だ。連載順にリンクを貼っていきながら、私なりにポイントを抜粋していく。

デキない人を狙う自己啓発セミナーの正体
https://toyokeizai.net/articles/-/111678

「自己啓発ビジネスの歴史をひもとくと、ひとりの学者にいきつく。アメリカの心理学者クルト・レヴィン。彼が結果として発明した『Tグループ』が、形を変えて、現代の自己啓発ビジネスにつながっている。」

「研究者やワークショップのファシリテーターが介入するよりも、参加者同士の議論によって、深い理解に至り、ときに深く傷つき自分を見つめなおし、さらに思考法の変換までが実現した。トレーニング・グループはTグループと呼ばれ、ただただ受講者が受講者と話すことで自己変革を迫る形がここに始まった。」

「参加者同士は、もともとつながりがない。発言すると、とんちんかんだ、と言われる場合もあり、さらには、「あなたの話し方が嫌だ」と断言されることもある。最初はいらいらしたり怒ったりするものの、Tグループの最終期日に至る際には、いやでも自分を見つめなおし反省せざるをえない。
Tグループは善意的な研究によって開発されたものだ。しかし、後年の自己啓発セミナーが洗練させたように、参加者をまず不安に陥れ、現状を否定し、そして真の自分を見せる、といったパターンの原型が見られる。」

これが1960年代に日本にも入ってくる。好景気の産業界では即席リーダーを育成する必要があった。そこでTグループの研修が着目されたのだ。

「自分で自分を変える」はそもそも可能なのか
https://toyokeizai.net/articles/-/112838

1962年に始まるヒューマン・ポテンシャル運動について。

「さすがに、時間をかけただけのことはある。これがすべてのはじまりだった。ヒッピー文化も巻き込んで米国ならびに世界中に一大ブームを巻き起こす、ヒューマンポテンシャル運動(ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント)はここが起点であり、有名なエスリン研究所もこうやって誕生した。
伝統や制度に縛られずに、自由に生きていくことができる。そして、自分が主体である――という当たり前は、こうやって誕生した。」

「エスリン研究所、そして、ヒューマンポテンシャル運動のメッセージを要約すると、次のようになるだろう。これから人間が見つめるべきは、外部世界ではなく、内部世界なのだ、と。」

「時代とマッチしたのか、時代が彼らを生み出したのか。エスリン研究所での実験は、退廃的というよりも、先鋭的な人間解放運動として輝き始めた。(中略)エスリン研究所が神秘的で開放的なセミナーを開いていたとき、ベトナム戦争は泥沼化していた。それまでの保守宗教は現実を前になすすべもなく、あらたな”何か”が求められていた。
少なからぬ人たちにとって、その”何か”がエスリン研究所にあると思った。エスリン研究所に多くの人びとが押し寄せ、おのれの可能性を追求しようとした。あるものは予定通り帰り、そしてあるものはそこに引き寄せられ続けていった。」

エスリン研究所にはマズローなどの学者も参加し、神秘主義的な研究が行われていた。それが世俗化しながら急速に広まっていく。次はアメリカでネズミ講ビジネスが生まれたときの話。

ネズミ講が自己啓発と結び付いた最大の理由
https://toyokeizai.net/articles/-/114793

「レヴィンやエスリン研究所は、まだ、純粋な人間への関心と学問的興味から手法を生み出していた。いくつかの学術研究からも、現代の臨床心理学につながった側面が見て取れる。しかし、それをビジネスに展開しようとするひとたちも、やはり現れていく。」

ホリデイ・マジックという会社が化粧品のネズミ講を始めた。そして社員たちに自己啓発セミナーを受けさせた。

「セールスの最前線を担った人たちは、当然「帰れ」「もう来るな」「そんな商品いらない」といった拒絶を受ける。そのときに笑顔で居続けなければならない。あるいは、精神的にダメージを受けず、ポジティブに考え続けなければならない。そのとき、「自分で自分を変えられる」「望んだ結果は、必ず手に入る」といった考え方はあまりにぴったりではないか。」

ここで行なわれていた自己啓発セミナーは次のようなものだ。現在でも時々耳にする「洗脳系」自己啓発セミナーである。

「ウィリアム・ペン・パトリックは「リーダーシップ・ダイナミックス・インスティテュート」を設立し、自己啓発をセミナービジネス化したと書いた。そこで行われていたのは、4日間で殴られたり睡眠時間を削らされたり、性的な告白を強制させられたり、失敗談を嘲笑されたりすることによって、自分の殻を破るものだったという。殻を破るというが、そこには恐怖体験からくるマインドコントロールのようなものでなかったかと思う。」

なお、ホリデイ・マジックには日本法人もあり、1974年に75億円の売上を計上している。結局はアメリカ当局の指導が入り会社はあっという間に倒産した。しかし会社は潰れてもノウハウは拡散した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ホリディマジック

次が最後の記事だ。日本の自己啓発ビジネスの源流について。

「催眠商法」は一体どのように生まれたのか
https://toyokeizai.net/articles/-/118982

「日本でこういった自己啓発ビジネスを展開した団体と人物として、「新製品普及会」と、それを率いた島津幸一氏に行き当たる。」

主婦たちを試供品で釣って会場に集め、集団心理を利用した催眠商法で最終的に高額商品を買わせるという手口を発明したのがこの島津だ。当時新聞では「公の場所でインチキ品売る」と書かれた。

「自己啓発セミナーでは、あくまで顧客は受講者だった。しかし、新製品普及会では、試供品につられて集まった主婦たちをターゲットにしていた。」

島津は一般市民をターゲットにしたほうが儲かると踏んだのだ。清水有高の発想もこれだったのだろうと思う。囲い込んだ従業員から搾取するだけではあまり儲からないので、情弱な一般市民にターゲットを変えようとしていた。まさに「公の場所でインチキ品売る」商売をやっていたわけだが、催眠商法が登場した当時も驚きをもって報道されていたことが分かる。よくもまあ公衆の面前でそんなことができるなという驚きである。

島津の会社は倒産する。大規模な連鎖倒産となり社会問題となった。しかし島津の活動は続く。アメリカに渡りマーフィーに会いに行く。

「ジョセフ・マーフィー博士に師事し研究を重ねた、という島津氏は、この潜在意識や成功哲学といったものを日本に広める役割を担う。日本で初めて、潜在意識、潜在能力をセミナーで教えていく。
ところで、当時の資料や雑誌、あるいは島津氏ご本人が書いたものにも「研究」といった表現が使われる。しかし、本当に氏がアカデミックな研究を実施したのか、研究組織や学会、それに類する団体に属していたのか、情報はない。」

島津は日本で初めて「潜在能力」とか言い出した人らしい。自己啓発業界において彼がいかに重要な人物であるかが分かるだろう。それにしても、島津とマーフィーの関係は苫米地とルー・タイスの関係に似ているような気がするのは私だけだろうか。

以上で連載は終わる。このように自己啓発の源流から現在の状況を説明できるのは面白いと思う。

カテゴリ: 自己啓発批判

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