とまべっちーの考え事

ホラクラシー組織の学習塾を作ってみたい。

批判の線引きをどこにするか  

かつてオウム事件があったときに、かねてからオウムに共感していた中沢新一も批判された。中沢が属する学派であるニューアカ/ポストモダンも批判された。しかし人によって線引きはいろいろだった。オウムは悪いが中沢は悪くないという人もいたし、中沢は悪いがポストモダンは悪くないという人もいた。

これとまったく同型の問題が一月万冊においても存在する。一月万冊に影響を与えた2種類の「教え」。苫米地式コーチングと安冨歩の毒親理論。それらのルーツをたどればニューエイジ系の自己啓発の流れが見えてくる。さて、批判の線引きをどこにするかが問題だ。悪いのは一月万冊だけなのか。一月万冊と一緒にどこまでを切り捨て、葬り去るべきか。

私は自己啓発という根元から切り捨てることにした。そこには共通する病理があると思ったからだ。自己啓発という土壌からは胡散臭い詐欺師がいくらでも湧いてくる。そこに集まる消費者たちもろくなものではない。自己啓発のうちの一部だけを救い出すことはおそらく不可能だと私は判断した。

批判の線引きにまだ迷っている人もいるかもしれないが、ぜひじっくり考えてほしい。少なくとも、また一月万冊のようなものに引き寄せられてしまうようなことのないように、自分なりに教訓を整理しておいてほしい。

カテゴリ: 一月万冊 清水有高批判

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