とまべっちーの考え事

ホラクラシー組織の学習塾を作ってみたい。

エリート主義の可能性を考える  

東浩紀は民主主義はダメだと言っている。民主主義とは原理的にポピュリズムなのでダメだという。これまでは、民主主義という建前にしておいて、その弊害を最小限に抑えるために代議制という形態を取ってきた。つまり、形式的には民主主義だが実質的には寡頭制に近い体制だ。しかし、それでもポピュリズムの嵐が吹き荒れている。

私は会社のヒエラルキーが嫌いで、民主主義国家を名乗るなら会社も民主主義で運営すべきだと考えてきた。しかし国家の民主主義のほうこそうまく行っていないのではないか。そう考えると、自分はどっちへ行ったらいいのか悩んでしまう。

健全なエリート主義について考えたい。健全な差別についても。自然経営の武井浩三は、能力差に応じて権力が配分されるのは自然なことだと言う。これがヒントにならないか。

一方に、ボスが不当に大きな権力を握ってしまう問題があり、もう一方に、弱者に平等な権力を与えていることによる衆愚政治の問題がある。いずれも「身の丈に合わない権力の問題」と定義することができる。もっと自然な形に権力を分配することはできないか。

とは言うものの、具体的なイメージがまったく湧かない。目的がはっきりしていればこそ合理的な権力の集中も可能になる。たとえばバスケの試合で勝つためには、エースにたくさんシュートを打たせた方がいい。それは合理的に計算可能であり、メンバーも納得できる。会社にも明確な目的があるから、そのために合理的な権力の配分の形がある。しかし政治になると話は別だ。価値観も異なり、利害関係が対立する人たちもいる。バスケで勝つよりもファンタスティックなプレーをして見る人を楽しませたほうがいいと言う人も出てくる。質的に異なる価値観が対立したときに、権力の「自然な」分配とは可能なのだろうか?

たとえばフェミニズムの論客たちがいる。かなり強烈な物言いをする人たちが多い。人数はさほど多くないと思うが、声は大きい。生存者バイアスがあると考えることもできる。フェミニズムの論者として発言を続けられる人はごく一握りなのかもしれない。では、フェミニストは世の女性たちの気持ちを代弁しているのだから相応の権力を与えるべきなのだろうか。よく分からない。世の女性たちがフェミニズムにどれほど共感し、支持しているのかも分からない。もし何らかの仕組みによって権力の移譲が可能になったら、女性たちの権力が一斉にフェミニストに移譲されるという事態が起こるのだろうか。

なんとも抽象的な話になってしまった。権力というものは静的なものではない。状況によって刻々と変わるものだ。だからリアルタイムに細かい調整をしなければ自然な落としどころを維持することはできない。相当なコミュニケーションコストをかけなければ不可能だ。大きな政治においてそれを実行するのは現実的ではなさそうな気がする。

ということは、健全なエリート主義は現実的に不可能だということになる。エリート主義を選択するということは、ある程度乱暴に何かを切り捨てることを意味する。もちろん非エリート的なものが切り捨てられることになる。

社会的に優遇されるべきエリートとはどのような人物か、という点についてはよくよく議論する必要があるだろう。いまエリートと呼ばれている人たちの多くはその資格に疑問がある。国民的に納得感のあるエリートの再定義をしなければならない。

カテゴリ: 社会

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コメント

無題

エリート主義がいいのか?

問題は、彼らがその力があるのか?その為したことの検証し信賞必罰が可能か?

天皇制で「責任の所在があいまい」で、

一種の権威崇拝で「庶民・部下の意見・諫言は、上司への反逆」となると、

そのエリートが真っ当な統治をするのか?しないよね・・。

今の「自称民主主義」でもできないのだから。


信賞必罰も、責任の所在の明確さも、無い社会で、民主主義もエリート主義も無い。


権力を持つと、それだけもたない者よりもできる権利の場面も増える。

同時に、その責任の所在も広まり、庶民では笑って済ませることも、権力を持つ地位にいると、とそれが懲役刑なり下手すら処刑される咎になる。

それをそもそも日本人て知らんのではないのか?


綸言汗のごとし・・・それだけ権力者の言葉を重く「吹っ切れ!」と言う言葉で、傷害罪まがいのタックルをさせることにもなる。その強さ・恐ろしさを、日本人って知らないのか無視しているのか・・・
下手に知ると、「天皇制ってやっぱオカシイよね」ってなるのが面倒って思惑も見える。

ではまた。

遍照飛龍 #RFphBmaY | URL
2018/12/17 11:18 | edit

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