とまべっちーの考え事

ホラクラシー組織の学習塾を作ってみたい。

私がゲンロンに応募しなかった理由  

東は度々ゲンロンのスタッフ募集のツイートをしてきた。私は東の一挙手一投足を追いかける熱心なファンなので、そのツイートも当然目にしていた。ゲンロンに飛び込んでみようかと真面目に考えたこともある。しかし出来なかった。

理由はたくさんある。まず、自分は無知すぎるので東の近くに控えるのは畏れ多すぎるということ。恐縮してしまって自分の力を発揮できないのではないかと思った。でもそれ以上に恐れていたのは、東と付き合うことにより、自分の精神的な弱さやコンプレックスなどがすべて暴かれてしまうのではないかということだった。東の前ではごまかしは通じないだろうと思った。しかも、東は身近な人間に対してかなり強い感情を向ける人なので、それが期待であれ友情であれ、私にはきっと背負いきれないだろうと直感していた。もし尊敬する東に身に余る期待をかけられ、そして失望されたら、自分にとって非常に厳しい経験になるだろうと思った。だから飛び込めなかった。簡単にいえば、「ゲンロンに入ったらきっと自分はダメになってしまう」と私は感じていた。

一般的に言ってもこういうことはよくあることだと思う。天才の身近にいる人たちが潰れていく現象は。




私が思うに、優秀な人ほどその直感があるから、東の懐には飛び込まないのだと思う。逆にゲンロンのスタッフになるのは、極めて鈍感な、したがって優秀ではない人たちということになる。実際にゲンロン社内で起こっていたことは私が危惧していたようなことではない。むしろ社員がやりたい放題、言いたい放題の状況になっていたらしい。

また、こういう言い方はフェアではないのかもしれないが、「類は友を呼ぶ」とも言う。とくにネットのインフルエンサーは、無意識のコンプレックスや憎悪などの負の情動に共感する人を強く惹きつける傾向があると思う。つまり、ゲンロンのフォロワーのうちの一定数は東の不健全な情動にこそ惹き付けられている。そういう層がスタッフとして入り込んでしまったのではないかとも思われる。

ゲンロン総会で起こり得る神展開は、それこそ優秀で信頼できる人がその場で手を上げて、一緒にゲンロンを立て直しましょうと言ってくれるというシナリオだろう。天才のために自分が犠牲になる覚悟で手を上げる人が果たしているだろうか?申し訳ないが私にはやはり出来ない。

カテゴリ: 東浩紀論

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コメント

私はお馬鹿さんです。

そういえば、諸葛亮兵書に

「君子を侮れば、そのこころを尽くさせることはできない。小人を侮れば、その力を尽くさせることはできない」

てありました。

東さんは、文章・言論の世界では天才でしょうが、統御・経営の世界では、普通の人か馬鹿だったかもしれません。

自分の採用した人を腐すのは、自分の目が節穴だった証拠。

また自分の愚かさに気づかないようなので、その節穴に引っかかった人ばかり雇ってしまう。

自分の人を見る明の無さと、

自分を手伝う人たちを用いきれない自分のアホさ、

その人たちの長所を発揮させれない自分の愚かさを、認識してない。

これは指揮統率・経営では凡庸です。それに気が付かず自分の賢さだけしかわかないのならそれはアホです。

私は東さん以上のお馬鹿さんなので、これ以上批判できないですが、天才ていっても、それは文章・言論の世界だけの、総合的に言えば普通の人なのでしょう。

言論も統治指揮も優れた、諸葛亮や曹操や王陽明とか、そういうのが天才て言うのかもしれませんが、まあそれはそれで、結構大変ですは。



まあ馬鹿の戯言でした。

遍照飛龍 #RFphBmaY | URL
2018/12/20 13:32 | edit

厳しいご意見ですね。たしかに部下がついてこなかったというのが厳然たる事実であり、その部下を公然と批判している姿は決して褒められるものではありません。やはり君子の器ではないんでしょうかね…。

とまべっちー #WSsdzqd. | URL
2018/12/20 13:46 | edit

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