とまべっちーの考え事

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平野啓一郎『ある男』を読んで考えた  

 とても良かった。群像劇だが、それぞれの人の人生がしっかりと描かれていた。中盤はやや入り組んだ推理小説のようになっており、よく分からなくなったが、終盤ではしっかり整理された。文体は簡潔で、ときおり見事な表現に出くわす。やはり平野は小説家なのだと思った(当たり前だが)。ツイッターやテレビ出演のときとは全然違う。メディアに出るときの平野は凡庸な印象がある。しかし小説は極めて洗練されており、その世界に深く入り込んでいる。ギアが違うというか、モードが違うというか。実力のある作家はやはりすごいと思った。

 自分の過去を捨てて他人と戸籍を交換する人たちの物語だ。主人公の弁護士城戸はそういう人たちの足跡を追いながら、自分の人生について考える。本作のテーマは、自分の人生や過去を直視すると具合が悪くなってしまう人たちがいて、そういう人たちにとっては他人の人生に触れることが癒しになるかもしれないというものだ。過去を他人と交換した人たちは、その人になりきることで癒される。そして、そういう人生を選択した人たちに思いを馳せる城戸もまた、自分の人生について考え直す機会を得る。
 これは小説論と言ってもいいだろう。物語がもつ力を表現したかったのだと思う。

 自分に引き付けて言うと、家庭教師としていろいろな家庭に出入りすると、他人の人生を知ることができる。私にもありえたかもしれない家庭生活の様々なビジョンが見える。「もしこういう家庭を築いていたら幸せだったろうか?」と考える。幸か不幸か、自分は今の生活を選んで正解だったとしか思えないのだが。

 ところで、私はこれまで、過去を直視するべきだと主張してきた。しかし、平野にいわせれば、そうしようとすると具合が悪くなってしまうのでどうしても出来ない人たちがいる。だから婉曲的な方法として、他人の人生に触れることを提案している。なるほど、一理あるかもしれない。平野は決して「過去を無視してよい」と言っているわけではない。婉曲的な回路を経由して、自らの過去を癒すことができると言っているのだ。
 しかし、世の中には小説というものを読めない人もたくさんいる。どういうわけか受け付けないらしい。小説を読めば感性を鍛えるができるし、コミュニケーション能力を伸ばすこともできる。しかし、小説を読む必要がある人に限って決して読もうとしないのだ。いや、一念発起して読もうとしたことは何度かあるのだろう。でも読めなかった。小説を読むためには一定の感性やコミュニケーション能力があらかじめ必要なのだ。
 過去を直視できない。かといって小説も読めない。そういう人はどうするかというと、自己啓発本を読む。あるいは、それも諦めて酒やギャンブルにのめり込む。

 小説は、小説を読めない人に対しては何も語ることができない。当たり前だが、それは深刻な問題だと思う。

 本作が単行本化されたら平積みにされるだろうし、映画化もされるだろう。読み直したくなるような上手な文章もたくさんあった。印象に残る作品となった。

カテゴリ: 本の紹介

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