とまべっちーの考え事

ホラクラシー組織の学習塾を作ってみたい。

ゲイリー・ハメル『経営の未来』  

 ヒエラルキー組織でないマネジメントについて書いてある。2008年出版。

 重要と思った箇所を引用していく。

近代経営管理の仕組みは、気ままで独断的で、自由な精神を持つ人間を標準やルールに従わせはするが、それによって莫大な量の想像力と自主性を無駄にする。業務に規律をもたらしはするが、組織の適応力を低下させる。世界中の消費者の購買力を増大させはするが、同時に何百万人もの人びとを封建的とも言える上意下達の組織に隷属させる。おまけに、企業の効率を劇的に高めてはきたものの、企業の倫理性を高めてきたという証拠はほとんどないのである。p.9



階層組織は、努力を集約すること、役割の異なる多くの人の活動を調整することにはきわめて長けている。しかし、努力を結集させること、人々にもっと上に、もっと先に進もうという意欲を起こさせることはあまり得意ではない。人間の能力を結集させるという点では、コミュニティのほうが官僚型組織より優れているのである。それは次のような理由による。官僚型組織では、交換の基盤は契約であり、人びとは割り当てられた仕事を遂行することに対して報酬を受けとる。コミュニティでは、交換は自主的なもので、人々は違いを生み出す可能性と引き換えに労働を提供したり、能力を行使したりする。官僚型組織では、あなたは生産要素である。コミュニティでは、同じ大義に身を捧げるパートナーである。官僚型組織では、「忠誠」は経済的依存の産物である。コミュニティでは、献身と参加はそのグループの目的や目標に賛同する気持ちから生まれる。監督と統制に関しては、官僚型組織は何層もの管理職と網の目のように張り巡らされた方針やルールに支えられている。それに対しコミュニティは、規範や価値観、それに仲間の優しい励ましに支えられている。官僚型組織では、宣伝部門の人間がマーケティング・プランを作成し、財務部門の人間が数時を扱うというように、個人が行なう仕事は制限されるきらいがある。コミュニティでは、誰が何をするかを決めるにあたって、資格や職務マニュアルよりも能力や好みが重視される。また、官僚型組織が与えてくれる見返りは主として金銭的なものであるのに対し、コミュニティでは見返りは主として感情的なものだ。官僚型組織に比べると、コミュニティは概して管理が少ない。コミュニティが人間の能力を増幅するのは、何よりもこのためだ。p.77


 例としてホールフーズ社が挙げられている。スーパーマーケットチェーンだ。店舗ごとに8チームくらいを組織して、利益率を競うのだそうだ。成績の良いチームには毎月ボーナスが支払われる。新人採用はチームメンバーが決める。チームの成績が収入に直結するので採用は真剣だ。つまり、裁量と責任をセットで現場に委譲しているのである。

 チームをビジネスユニットとして利益に責任を持たせる仕組みは有効だと思う。私もぜひ取り入れたい。ただそうすると、共有リソースの取り合いになるのではないか。スーパーマーケットでいえば売り場面積や陳列棚の奪い合いにならないだろうか。成績を上げるのに有利な条件を持つチームとそうでないチームが生まれてしまう懸念がある。また、チーム運営が優れていていつもボーナスをゲットするチームもあれば、万年最下位のチームも出てくるかもしれない。モラルハザードを起こすようなチームが出てこないとも限らない。

 武井浩三は自然経営を実現するためには時間がかかると言う。組織の土壌を育てるところからやらなければいけないからだ。土壌が出来てきて、合わない社員に出て行ってもらって、ようやくスムーズに回り始めるのだろう。

 ヒエラルキー組織の問題点は周知されているにもかかわらず、それに替わる組織への移行が遅々として進まないのは、いろいろな難しさがあるからだ。「これでいいじゃん!」と誰もが思えるようなロールモデルがまだ登場していない。たとえばダイヤモンド・メディア社は個々のメンバーが個人でも十二分に市場価値を持っている、強者のコミュニティだ。烏合の衆が真似をしてもあっという間に崩壊してしまうだろう。まだまだ実験・研究段階だが、どこかの大手企業が挑戦してくれると面白いと思う。

 なんとなくベーシック・インカムの制度化の話に似ているような気もする。BIも実験段階だ。いずれも性善説に立つ仮説であり、うまく行くかどうかは不透明だ。まずは相性が良さそうな小さな場所から試験的に導入していくことになるだろう。

カテゴリ: 会社について考える

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